アフリカ便り—アフリカのサッカー小僧たち

熱狂のガーナ

織田 雪世

ガーナの子どもたちに「人気のスポーツは?」と聞いたら、きっと誰もが「サッカーだよ!」と答えてくれるでしょう。ガーナの人びとはサッカーが大好きです。

英国の強豪チーム、チェルシーFCのマイケル・エシアン(Michael Essien:日本ではよく「エッシェン」と書かれます)をご存じでしょうか。エシアンは「ガーナで最も高い給料を稼ぐ男」とも言われる英雄サッカー選手です。彼のように、ヨーロッパのトップリーグで活躍する選手も少なくありません。一方、国内にもナショナル・リーグがあり、「クマシ・アサンテ・コトコ」などが有名です。このアサンテ・コトコ、クフォー前大統領が会長を務めていたことでも知られています。

海外のリーグでもガーナのリーグでも、ひとたび試合中継が始まれば、サッカー好きの青年やおじさんたちが、テレビに釘づけで観戦したり、歩きながらラジオをぴったり耳にくっつけて聞き入ったりしています。翌日の新聞は、スポーツ欄はもちろん、ときには裏表紙や第一面までも、カラー写真つきのサッカー報道に占領されてしまうことがあるほどです。

首都アクラの街なかでも、日が傾いて涼しくなると、空き地に青年たちが集まり、にわかサッカー大会が始まります。地方に行っても、サッカーは楽しみにされているようです。仲良くしてもらっていたガーナ人の家族と、彼らの故郷の村へ里帰りしたときのこと。皆でご馳走をつくって食べ、やれやれと幸せにひたる私を尻目に、青年たちがてんでに服を着替えはじめ、「広場でサッカーだ!」と嬉しそうに駆けていきます。降りつづく小雨も何のその。ついて行ってみると、 そこにはなだらかな丘の茂みを切りひらいたサッカー場がありました。グラウンドのラインもわかりますし、ゴールの枠を木と竹でつくり、草だって15センチくらいに刈ってあります。既婚者チームと未婚者チームに分かれて、ゲーム開始。ユニフォームはないけれど、既婚者チームは服を着て、未婚者チームはシャツを脱ぐから一目瞭然です。審判が笛を吹いてゲームを進めるうち、周りには娘さんやらおばちゃんやら、子どもたちやらが集まって黒山の人だかり。誰かがゴールを入れたり、濡れた草に滑ってボールを蹴りそこねたりするたびに、立ちあがってやんやの大騒ぎです。終わって集落へ戻ったときには、辺りはもう真っ暗になっていました。

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村でのサッカー大会

こんな具合なので、2006年にドイツでW杯が開催されたとき、ガーナでの盛り上がりはすさまじいものでした。ガーナのナショナル・チームの名は「ガーナ・ブラック・スターズ」。サハラ以南アフリカで初めて旧宗主国から独立した国という誇りを胸に、燦然と輝くアフリカの「星」です。そのガーナがついに念願の初出場、しかも決勝トーナメント進出を果たしたのです。それも大国アメリカに勝っての進出ですから、皆が熱狂したのも無理はありません。街じゅうが勝利の喜びに酔いしれ、中には喜びのあまり道路へ飛び出した青年が、通りかかった車にはねられてしまった...といういたましい不幸もありました。 省庁街に勤めていた知人によると、試合の日、人びとは今までに見たこともない勢いでてきぱきと仕事をすませ、テレビを観るために、いそいそと家へ帰っていったそうです。私はそのころ、首都のアクラで働いていたのですが、試合の趨勢はテレビを観ていなくても分かるほど。ガーナ側がゴールを決めれば、どこからともなく「ウォーッ!」という歓声が響いてきます。「ウォーッ」のあとに「アー」が続いたら、点にはつながらなかったという合図。巷では「カンガルー・ダンス」というものが流行っていて、選手たちは勝つとこの「ダンス」をしていました。カンフーの真似をするような感じで、両腕をすこし曲げ、手を胸の高さで前に出して、ぴょんぴょんと前へ跳ぶのです。「これ、カンガルーに似てるでしょ」と人はいうのですが、どうしてここでカンガルーなのか、こんど誰かに聞いてみたいと思います。

そうこうするうちに、決勝1回戦、超強豪ブラジルとの対戦の日です。夕方、運転手のブライトから職場の私へ電話がかかってきました。意気揚揚たる声で「ほら、もうすぐ試合が始まりますよ。私は近くのバーへ観戦にいきますから、もう帰らせてください。」勤務時間はあと1時間あるのですが、もう当然といわんばかりの威勢のよさ。思わず「いいよ」と言ってしまいました。その後、試合の行方を気にしつつも仕事をしていると、あれ?街が妙な静寂に包まれています。まるで水をうったような静けさです。やがて、ブライトから電話がかかってきました。さっきとはうって変わった、憔悴しきった声です。「…あの、ダメでした…。」ガーナは0対3で負けてしまったのです。「そう…。残念だったね。とにかく、これで世界が終わるわけじゃないんだから、今日は晩ご飯食べてよく寝なさいな。」「…あの、とても食べられません…。」何をぐずぐず言ってるの、いいからとにかく食べて寝ちゃいなさい!と怒鳴って励ましつつも、この試合にかけた彼の情熱には、つくづく心打たれるものがありました。

そして、2008年。ガーナは、アフリカ・ネイションズ・カップ(African Cup of Nations: CAN2008)の開催国になりました。CANは、アフリカのナショナル・チームによるサッカーの大陸選手権です。「無駄づかい」との批判を浴びつつも、全国のサッカー場で大改修が行われ、地方のタマレという開催地では、観客の宿泊を当てこんで、大小のホテルが20件以上も建てられたといいます。もっとも、一番準備が早かったのはサッカー・グッズを売る露天商だったかもしれません。あっという間に、エシアンやスティーブン・アピアーといった人気選手の名を入れたCAN2008のユニフォームが道端のお店に並びました。肩につけられたプーマのマーク、耳が丸くてむしろ猫に見えたりもしたそうですが、そこはご愛敬です。

開幕直前になると、街の準備がいきなり本格化しました。目抜き通りに看板が並び、ガーナ国旗をイメージした赤、黄、緑色の布があちこちにたなびきます。路上では渋滞する車の間を縫って、青年たちが大小の国旗だの笛だの、応援グッズを売り歩きます。開催中、特にガーナが出場する日などは、ユニフォームを着てガーナ国旗色の帽子をかぶる人や、ボディペイントを施した人までが鳴りものを吹きならして道を練り歩き、アクラの街は熱気に包まれました。

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ガーナ戦の応援に駆けつけた人びと(佐藤冬子氏撮影)

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応援、見ためも大事です(佐藤冬子氏撮影)

   

この大会、私がチケットを買っていたのは、幸か不幸か最終決戦でした。ガーナはあえなく敗退しており、エジプトと、ガーナを破ったカメルーンとの対決です。それでも、会場につくと大勢のサッカーファンが応援グッズを手に盛り上がっていました。後ろの席に座ったガーナ人の青年たちに「ねぇ君たち、どっちを応援してるの?」と聞かれ、「あなたたちは?」と聞き返すと、「もちろんエジプトだよ!カメルーンはガーナを破った奴らだからね。たたきつぶしてやらなきゃ」と大盛り上がり。試合が始まる前から「アブトリッカー、アブトリッカー」とエジプト選手の名を呼んで大声援です。ところが、試合が始まってしばらくすると、後ろから聞こえる声援が「エトー、エトー!」に変わってきました。あれ、エトーってカメルーンの選手じゃなかったっけ?と驚いていると、そのうち「アゴゴ、アゴゴ!」アゴゴはガーナの選手で、もちろんこの試合には出ていません。アゴゴおらんやんけ、と私があ然としているうちに、「アゴゴー、エー、アゴゴー、オー」とアゴゴの歌まで歌いはじめました。もう何がなんだか分かりません。でも大興奮のうちに、試合はエジプトの勝利で終わりました。青年たちが盛り上がりつづけていたのはいうまでもありません。

こんな具合に、サッカーを愛し、ガーナを愛するガーナの人たち。日本に帰国したあとも、アゴゴの歌がなつかしく耳の裏に響いてくる今日このごろです。今回のW杯でも、皆が一丸となって盛り上がるといいな、と今から楽しみです。

更新日: 2009-06-08, 作成者: AFRIC Africa