アフリカ便り—寝る

孤独を嫌う人たち(エチオピア)

山野 香織

エチオピアに滞在していると、一人でいる時間が断然少ない。いつも誰かと話をしていて、いつも誰かが隣にいる。体調を崩して一人で静かに眠っていたいときも、誰かが心配して様子を見に来たり、「コーヒーができたから起きてきなさい」と容赦なくお誘いをいただいたり。エチオピアで出会った人たちはそろって、「一人でいることは良くないことだ」と言う。いや、そうだとしても、やはり寝るときは一人がいい。朝から晩まで常に誰かが隣にいる状況のなかで唯一一人になれる時間といえば、夜寝るときだけであった。

調査地の村に入った当初、村役場の倉庫を借りてそこを自分の生活の場としていた。下はコンクリートだがトタンで囲っただけの隙間だらけの倉庫だ。そこに、持参した御座を敷いて、エチオピア人の友達に借りたマットレスを置いて何とか部屋らしくなった。日中はご近所のおばさんたちや子供たちと過ごして、日が暮れると倉庫に戻り、夜は一人で過ごした。現地の言葉も全く理解できない中、住民の人たちと過ごすことは精神的にも疲労を感じたので、夜になって倉庫に戻るとほっとしたものである。

photo
倉庫の部屋

とはいうものの、倉庫ではぐっすり眠った試しがない。村には電気が一切ないため、夜になってローソクの火を消すと、部屋の中は眼を閉じたときと変わらない暗さになる。風のせいでトタンのガタガタという音がする。外ではハイエナなのかイヌなのか分らない気味の悪い遠吠えが聞こえる。夜中に大雨が降ると、雨がトタン屋根に落ちて耳をつんざくような騒音に襲われる。そして一番恐ろしいのが、トタンの隙間から倉庫に入ってくるネズミたちである。ご近所さんから頂いたトウモロコシ、アボカド、バナナ、パパイヤなどは、すべてネズミにかじられる。それらの食料を壁に吊るしてネズミにかじられないようにすると、今度は食べるものがなくなって私のバックパックをかじり、それにも飽きたら今度は寝ている私の頭を歯でつついた。このように恐怖で眠れない夜が続き、日々寝不足状態だった。

1か月ほど経って、それまでよりも少しだけ言葉が分かるようになり、住民の人たちが私に慣れてくれたおかげで親密さも深まり、常に誰かが隣にいる状況がさらに増えた。そうなると、夜一人で寝る時間はもっと貴重なものとなるはずだが、人の家にお世話になっているとそうすることもできない。

そんな折、ある女性の家で寝泊まりをさせてもらうことになった。茅葺屋根の小さな家で、結婚前の18歳くらいのアスナゴという女の子とその妹、お手伝いの女性の三人暮らしの家だった。夜になると、妹とお手伝いさんは、エンセーテという植物の大きな葉っぱを積み重ねた上に御座を敷き、そこで二人一緒に寝ていた。そして私はというと、アスナゴが寝ている小さなマットレスの上に、一緒に並んで寝させてもらうことになった。小さなマットレスなので、二人で一緒に寝ると体をくっつけないと落っこちてしまいそうになる。アスナゴとは仲良しだったが、正直いうと最初は、寝る時まで誰かが隣にいることが苦痛だった。 しかし、不思議なことに、それまでの倉庫生活とは違い、アスナゴと一緒に寝ていると毎晩ぐっすりと眠ることができたのだ。茅葺屋根なので夜に雨が降っても騒音にならず、目を覚ますこともない。そして、隣に誰かがいるということ、一つ屋根の下に誰かと一緒にいるという意識が、最も私を安心させたのである。だから、外で動物が吠えていてもネズミが家の中を動き回っていても全く気にならず、真っ暗な夜に吸い込まれるようにして深い眠りにつくことができたのである。そうして爽やかに目覚める朝は、女性たちがコーヒーの葉を杵と臼ですり潰すときの、コンッ、コンッという、ゆったりとした音が心地よく耳に入ってきた。

photo
朝の風景

   

妹とお手伝いさんのように、そして私とアスナゴのように、エチオピアでは一つの寝床で体を寄せ合って眠ることは一般的なことである。それは家族だけに限らず、一つ屋根の下で寝ることになれば他人同士でも同じである。

 

一人でいることは良くないという現地の人たちは、一人でいることを非常に嫌う傾向がある。コーヒーを飲むときも、食事をするときも、誰かと一緒でなければ飲まないし食べない。そして彼らは同時に、そうやって誰かと一緒に飲食をともにする習慣をいつも誇らしげに語っている。「日本ではみんなそれぞれのお皿があって、一人で食事をすることもある」と私が言うと、「それはよくない。いい文化ではないね」と彼らは言う。

また、「日本では一人暮らしをしている子が多いよ」と言うと、「なんでわざわざ一人になる必要があるんだ?」「なぜ家族と一緒に住まないんだ?」と不思議がられる。一瞬、普通じゃないの?と思うかもしれないけれど、一人で住み、一人分の料理をつくって一人で食べ、一人で寝るという生活に何の疑問ももたない私たち日本人のほうが、実はおかしいのではないかと思ったりもする。

初めは、朝から晩まで誰かが隣にいることが鬱陶しいとさえ思っていたエチオピアでの生活。そんな私が、アスナゴと体をくっつけあってぐっすり朝まで眠ることができたのは、一人になりたいと思う反面、誰かが傍にいるという幸福を、身をもって実感したからであろうか。

更新日: 2008-06-01, 作成者: AFRIC Africa