アフリカ便り—病気編

頭痛のわけ (ボツワナ)

丸山淳子

頭が痛い。熱はちっとも下がらない。戸外からは、このうちのおとうさんとおかあさんが近所のおじさんたちと一緒に、私の病状について話し合っている声が聞こえる。心配してくれているのはわかっているけれど、みんなの話し声が痛い頭に響いてイライラする。フィールドワークも終盤。私はラストスパートをかけようとした途端に、高熱を出して寝込んでしまった。調査の予定を考えるとため息しか出ないが、今はとにかくこの頭痛をなんとかしたい。

しばらくすると、そっとドアが開いて、おかあさんが入ってきた。「調子はどう?夕方になる前に診療所にいきましょうね。」ブッシュマンのためにボツワナ政府が設けたこの定住地の中央には、立派な診療所がある。ながいあいだ狩猟採集生活を続けてきた彼らの故地は、いまや国立公園として立ち入りを禁じられ、その代わりに教育や医療の設備が整ったこの定住地が提供されたのである。近代的な医療になじみがなく、診療所への足が遠のいている老人も多いが、このおかあさんは彼らに「病気は注射とタブレットで治すものだ」と説教するほど、診療所のことも、そこで働く看護婦のことも気に入っている。なかなか病状がよくならない私にも、看護婦に一度診てもらうようにとすすめ、今日は診療所までついていってくれるというのだ。部屋の隅で、診療所へ行く準備をはじめた彼女は、ふと振り向き、やさしい声で、でもとてもまじめな顔をして尋ねた。「ジュンコ、いいかげんに白状しないさいね。相手はだれなの?このあいだ町に行ったときなんでしょ?あなたがそれを言わない限り、病気は治療できないのよ。」

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診療所では、血圧も測ってくれる


おかあさんに連れられてひさしぶりに戸外に出ると、太陽がまぶしかった。診療所にはいつものようにたくさんの人が集まっている。待合いベンチには、診療所の掃除などに雇われているおばちゃんたちが座って、大きな声でおしゃべりをしていた。彼女たちは、私をみると、手招きして、ベンチに座らせ、さっそく病状を尋ねはじめた。「頭と、それから背中とが痛いの。熱もあって・・・・。」私の話を聞いたおばちゃんたちはニヤニヤとわけあり顔し、互いに顔を見合わせている。おかあさんが、ね?あれでしょ?としたり顔をする。隣に座ったおばちゃんは私の顔をのぞきこみ、真顔で言った。「むかしから、みんな知ってることよ。頭と背中とそして腰が痛くなるのよ。」「で、誰なの?私も、あんたぐらいの年におなじ病気になって、おばあちゃんにきかれたものよ」「やっぱり町の人でしょうね。どこの誰なの?」口々にしゃべり続けるおばちゃんたちの顔を見渡して、おかあさんは勝ち誇ったようにいった。「そうなのよ、私はずっとそう言ってるのに、この子は黙ったままなのよ!」

また、この話だ。私は、もう答える元気もなく、自分の名前が呼ばれたのを幸いに、逃げるように診療所へ入った。診療所では、診察の前に別室でカルテに名前などを記入する事務的な手続きが行われる。この仕事には、読み書きのできる地元の女性が雇われていた。この世代のブッシュマンにしてはめずらしく初等教育を受けた彼女は、自分の娘も遠く離れた町の中学校に行かせている。町に住む娘の話をひとしきりしたあと、彼女は私のカルテをつくり、そして声をひそめていった。「ジュンコ、町で何があったのか、看護婦さんには本当のことを言いなさいね、そうしないと、間違った薬をもらうことになるからね、わかったわね?」私の頭痛はどんどんひどくなっていった。

診療所の看護婦は、私の症状を聞いて、2本の注射を打ち、しばらくベッドで眠っていきなさいといった。看護婦の診察は淡々としていて、待合いベンチのおばちゃんたちの騒がしさとは対照的だった。やがて目が覚めると、夕暮れのなかでおかあさんが一人、私を待っていてくれた。帰り道、おかあさんが静かに「看護婦さんには話したの?」と聞く。私が、「なにも聞かれなかった」というと、彼女は大きなため息をつき、あんなに崇拝していたはずの看護婦について「彼女は、何もわかっていないのかしらねぇ」とつぶやいた。

次の日、それでも熱が下がらない。あのひどく痛い注射はなんだったんだろう?今日もおとうさんはおじさんたちと私の病状について話し合っている。「相手はわからないけど・・・。でも、治すには、あれしかないよな。」夕方になって出かけたおとうさんは、やがて何種類かの植物の根を掘って、持ち帰ってきた。その根を束ねてなべに入れ、煮出して薬湯をつくり、毛布に包まっている私に、有無を言わせない調子で言った「全部飲みなさい」。それは茶色く濁り、とんでもなく苦い薬湯だった。やけっぱちで飲み干すと、今度は、先端が焦げて煙がでている茎が登場した。クシャミが出るまでその煙を吸えという。そんな簡単にクシャミなんて出なかったけれど、鼻の奥がつんっとするほど、その煙を吸った。その晩、私はとてもよく眠った。汗がたくさん出て、熱が下がり、朝になると、頭痛がうそのように消えていた。

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定住地の周囲に広がる原野には、薬になる植物がたくさんある


すっかり元気になった私は、さっそく調査を再開した。しかし、病気のあいだじゅう聞かれ続けた「相手は誰なの?」の質問の嵐が、これでおさまると思ったら大間違いだった。この定住地に住む1000人を超す人々はみな、私が病気にかかったこと、おとうさんの調合した薬草のおかげで治ったことを知っていた。定住地のなかを歩いていると、あちこちから声がかかる。「ジュンコ!今日は、あんたがインタビューをされる日よ!」そして、私をよびとめたおじいさんが少しもったいぶって尋ねる。「このあいだ、君が服用した薬がなにか知っているか?あれは私たちブッシュマンが昔から飲んできた薬なんだよ。男と女がひとつの毛布の下でねると、ときとして“汚れ”が生じることがある。そしてそれがひどい頭痛や腰痛をひきおこす。そういう病気を治すための薬なんだよ、あれは。その薬で君の病気はすっかり治ったね。ジュンコ。どこの誰と何があったんだい?」とりわけ独身男女の秘密の恋や婚外の恋人との性的な関係、あるいはその関係のこじれによって、この病気になることが多いという。そして、本当なら、ちゃんと相手が誰なのかを告白し、二人ともを同時に治療しなければならない。治療をとおして、その関係が公に明らかにされるという社会的な意味も、そこにはあるのだろう。近代的な医療にいちはやくなじんだかのようにみえるおかあさんや、診療所で働く人々にとっても、病が人間関係のこじれによって生じることは、変わらない真実だった。彼女たちにとって、私の病状は「どこかの誰かとひとつの毛布を共有したこと」によるものであることはまちがいなく、「相手は誰なの?」と聞き続けたのである。

ところが、私の場合、ついに相手を白状しないままに、頭痛も発熱もおさまってしまった。症状が改善したのはよかったが、病気の原因である私と誰かとの関係はまだ明らかにされていない。定住地での私の行動はいつも誰かに見られているし、人々は私がどこで誰と何をしていたのか、実によく知っている。唯一、知られていないのは、1月に1回、100キロ離れた町で過ごすほんの数日間の、私の行動だけだ。人々のうわさは、したがって、いつのまにか「町の男」に収斂されていき、私は毎日のように「町で何があったのか」と聞かれ続けるようになった。

私にとって、町に行くことは、資料収集や手続きのためだけでなく、灼熱のカラハリですごす日々から少し離れ、エアコンの効いたレストランで、冷たいビールやアイスクリームを口にできる貴重な「息抜き」の時間としても大事だった。だけど、その息抜きは、この国のなかで、もっとも周辺的な立場におかれたブッシュマンたちにとっては、とても手が出せるものではない。だから私は、町のレストランから出たとたんに、定住地からやってきたブッシュマンたちに出会ったりすると、すごく気まずい思いをしていた。定住地での暮らしでは、みんなと同じように政府の配給のトウモロコシの粉を食べ、ブッシュの中での狩りでも木の実の採集へでもついていき、なんとかブッシュマンたちとおなじように振る舞いたいと願う私でも、どうしても日本で覚えたエアコンや冷たいビールが忘れられない。そんな自分が矛盾しているように思えて、その矛盾を突きつけられるような気がして、私は町でブッシュマンたちを見かけるとコソコソと隠れるようになっていたし、町で何をしているのか、話したこともほとんどなかった。

しかし、この病気を機に、私は町での生活をすべてみんなに話さざるを得なくなった。そして、私は自分で勝手に矛盾していると感じて、隠していたいろいろなことを話したおかげで、すっかり気が楽になった。ブッシュマンたちは、私が、アイスクリームの必要な日本人であることは当たり前だと思っていたし、それに私が隠していたと思っていたことは、実はほとんどバレていたことも知った。私は、ずっと気にかかっていたことから開放され、それこそ心身ともに健康になった。それから数週間、私は、町でどのお店に行くのか、どこに泊まるのか、誰と会うのか、調査のために必要な手続きはどんなことか、町でおこるありとあらゆることを、聞かれるがままに話すことになった。ただし、ひとつだけどうしても話せなかったことがある。それこそが、ありもしなかった「町の男との関係」であった。あの病気の日から、もう3年もたつ。今でも、私が定住地を訪れ、頭痛を訴えると、おとうさんがにやりと笑っていう。「こんどこそ、相手の名前を言わないと、薬湯はつくってやらないぞ」

更新日: 2006-02-05, 作成者: AFRIC Africa