アフリカ便り—アフリカの母

母を訪ねて(エチオピア)

西 真如

エチオピアのシダモ(シダマ)地方は、有名なコーヒー産地のひとつで、日本で売られている缶コーヒーの原産地表示にも「シダモ」と書かれているものがある。エチオピアの首都アジスアベバからシダモは、自動車で半日の行程だ。数年まえに幹線道路の改修がおこなわれてからは、車のなかで本が読めるほど快適なドライブになったから、大型の四輪駆動車を手配しなくても、気軽に訪れることができる。

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シダモの農村風景

シダモにはじめて自動車道路が通じたのは、第二次世界大戦中のことで、そのころエチオピアを占領していたイタリア軍によって建設された。しかしシダモのコーヒーはそれよりも早く、1920年代にはすでに、エチオピアにとって重要な輸出品目となりつつあった。そこで現地の商人たちは、コーヒーを詰めた麻袋をロバに背負わせ、隊商を組み、1ヶ月以上もかけてアジスアベバまで運んだと伝えられる。

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コーヒーの隊商が通った道

そのころの隊商は今と違って、たびたび盗賊やハイエナが出没する危険な通商路を通り抜けねばならなかった。そこで隊商に参加するのは、男の商人と決まっていた。とはいえ商人の妻は、家でしずかに夫の帰りを待っていたわけではない。彼女らも地元のマーケットにでかけ、コーヒーの売り買いをして、せっせと財産を築いた。

なかには、恐ろしい盗賊が出没するコーヒーの道を歩き通した、勇敢な女性もいた。シダモとアジスアベバを結ぶ通商路の中ほどに、ウルバラグという小さな町があって、その周りにはムスリムの村が点在している。この辺りの村は、たくさんの商人を輩出していることで知られていて、シダモのコーヒー商人のなかにも、この地域の出身者がたくさんいる。そんな村のひとつに、もう80歳くらいになるお婆さんが住んでいるのだが、彼女はこんな話をしてくれた。

------ 私の母はカディジャという名だっだが、私がまだ小さかった頃に、私をおいて家をでてしまった。私は母の顔を見ないで育った。私が結婚して子供を産んだころのことだ。親類の商人のひとりが「シダモに行って、おまえのお母さんに会ってきたぞ、こんな贈りものをもらった」と言って、私の母からもらったという服を見せびらかした。それで私は、「じゃあ、私も(シダモに)連れて行ってよ。母に会わせてよ」と言って、しばらくたったある日、インジェラを焼いたりチーズをつくって準備をととのえた。そして親類の商人に「さあ行こう」と言ったらその人は「女を連れていくと、人さらいかと思われる」とか言って、私をおいて出発してしまった。私が泣いて、母に会いたい、会いたいと言って夫を困らせていたら、とうとう夫が、俺が連れて行ってやるよ、と言ってくれた。

ところがその頃の旅は、ロバをひいて歩く旅だ。何日も歩いて、途中の町についたとき、夫は疲れ切った私を見て、「ほら、あの遠くの山のうえにある教会、あの近くにお母さんの家があるんだよ」と言った。それで私は、牛乳をたっぷり飲んだ人のように元気になって、また歩き始めた。

さらに進むと、カセというところにきた。カセは盗賊がでるので有名なところで、しかも行く手には七つの大きな川があった。川にはいると水が深い。それでもロバたちは慣れたもので、ふぁ、ふぁ、ふぁ、と鼻で荒い息をしながら、川を渡っていった。川を渡り終えると、こんどは夫がへばってしまった。そこで私が、ロバをひいて歩きはじめると、それを見ていた商人たちが「これは男まさりの女だ、なんと元気のいいことか」と叫んだ。

そうして進んでいくと、私たちはシダモの村についた。すると村人たちが大騒ぎで「おーい、カディジャの娘がきたぞ!」と言って、インジェラが焼かれ、大きな壺に牛乳が満たされ、羊がふるまわれた。私たちはまる1ヶ月も飲み食いして過ごしたあと、もとの村に帰った------。

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昔の体験を語る女性

以上、お婆さんが話したとおりに翻訳するとわかりにくいので、すこし筆者の手が入っているが、だいたいそんな話だった。

さてカディジャ、つまりこの話をしてくれたお婆さんの母であるが、村人が「カディジャの娘がきた」といって大騒ぎしたり、ご馳走が1ヶ月も続くほどであるから、彼女はそれなりに、名のとおった人だったようだ。そもそもカディジャは、なぜ幼い子どもを残して家を飛びだし、シダモに来たのだろうか。

カディジャは故郷の村で結婚し、最初の娘を生んだあと、すぐ夫に死なれた。そのころの村では、夫に死なれた妻は、その夫の弟と結婚するという慣例があった(なんだかぞっとしない話だと思うひとも多いだろうが、日本でも最近まで同じような習わしをもつ家があったくらいで、世界中で似たような習慣が報告されている)。彼女はしかし、夫の弟と結婚することが我慢できなかった。正確に言えば、習慣そのものよりも死んだ夫の弟が、あまりにも幼いのが気に入らなかったのである。

カディジャは「こんな子どもが1人前になるまで待っていたら、私はお婆さんになってしまう」と抗議したが、義父母も頑固だったらしい。そこでカディジャは知り合いの商人にたのんで、一緒にシダモに逃れることにした。シダモに行く道すがらのマーケットで、彼はカディジャに服を買った。女性に服を買うのは求婚のしるしである。ふたりは結婚してシダモの村で暮らし始めた。

といっても、ふたりで仲むつまじく畑を耕しはじめたのではない。カディジャの新しい夫は商人だから、シダモとアジスアベバのあいだを忙しく歩きまわっていた。カディジャはカディジャで、もともと商才があったようだ。彼女は故郷の村にいた頃から、マーケットでバターや塩などを売り買いして儲けていたが、その額は決して主婦の小遣い稼ぎとかいうレベルではなかったようだ。彼女は、シダモにでかける男の商人たちに、買い付けの資金を貸してやるほどの財力があった。カディジャをシダモに連れて行って、新しい夫になった男も、彼女の資金で商いをしていた商人のひとりだったのかも知れない。

さて、コーヒーで景気がよいシダモの村に来てからの、カディジャの稼ぎは目覚ましかった。彼女は村に農地を買って、息子や娘たちに耕させた。また町には家を買って、別の息子や娘たちを住まわせ、商売を覚えさせた。そんなある日、カディジャの娘がはるばる故郷から母を訪ねてやってきた、というわけである。その頃、カディジャの息子のひとりは、町で一目おかれる商人になっていた。さらに孫のひとりは、町でも指おりの裕福なコーヒー商人になり、その子どもたち(つまりカディジャのひ孫たち)に学問を修めさせた。

それでみんな末永く幸せに暮らしたのかというと、いろいろと苦労が絶えない世の中は、エチオピアも日本も変わりないようだ。とくに商売のほうは、ますます厳しいようだが、そんなことをいちいち書きたてるのは止めにしよう。カディジャの土地では、いまカディジャのひ孫にあたる夫婦が、幼い子どもたちを育てている。何年かまえには、作物が病気で全滅したが、それもかなり回復してきたようだ。近年のエチオピアでは、干ばつの被害を受けて生活に困る農家も多いが、今年もカディジャの土地で、作物が実を結ぶことを祈りたい。

更新日: 2006-06-02, 作成者: AFRIC Africa