アフリカ便り— 友情

大切な領域(南アフリカ共和国)

河野 明佳

アパルトヘイト体制下の1970年代初頭、南アフリカ。強制移住により、住んでいた場所も仕事も失い、行き場を失った人たちが、寄り集まり、発展した「不法占拠区」。ンタテ・ンコースィ(ンコースィおじさん)は、警察による襲撃や理由もわからない不当逮捕・拷問が相次ぐ中で、どうにか「不法占拠区」の住民が法的庇護を受けられるように奔走した住民リーダーの一人だった。

ンタテ・ンコースィのことは、その地域に住む人なら誰でも知っている。1990年にアパルトヘイト体制が崩壊した後は、地域住民の土地の返還や補償要求運動を率いてきた。この町の歴史を知りたければ、ンタテ・ンコースィに聞け、と誰もが口をそろえる。

といっても色あせてピンク色になったシャツに、丈の短くなった古いスラックスがトレードマークの彼は、タウンシップ(アパルトヘイト時代に創られた旧アフリカ人居住区)に住む貧困層の人びとと何も変わらない。決してエリートではなく、貧しい環境で生まれ育ち、教育もほとんど受けていない人である。

現在、ンタテ・ンコースィはわずかな年金で一人暮らしをしている。妻は、「不法占拠区」時代に、度重なる暴力的襲撃に嫌気がさし、彼と別れ、実家へ帰ってしまったという。子どもたちも成人して、今は遠い町に暮らしている。年は80代半ば。洗濯も、食事作りも自分でしている。でも孤独な生活ではない。彼の家には、いつも誰かしらが訪ねてきては、何かしらの相談事や話し合いをしている。

あるとき、「ンタテ・ンコースィの一番仲の良いお友達は誰なの?」と聞いてみたことがある。彼の家では、いつお邪魔しても新しい人に出会うから。ンタテ・ンコースィはちょっと驚いたような顔をして、それからふっと微笑んで、ゆっくり答えてくれた。

「私の友人は、ンタテ・マショーメとンタテ・モコエナの二人だよ。君は会ったことがなかったねぇ。」

二人は「不法占拠区」時代からの友人だという。驚いた。これまで6か月以上も一緒に「不法占拠区」の元住民への聞き取り調査を行ってきたけれど、この二人の名前は一度も上がったことはなかった。どうして紹介してくれなかったんだろう?少しさみしく思いつつも、私はンタテ・ンコースィの話に耳を傾ける。

「ンタテ・モコエナはもうずいぶん前に亡くなってしまったんだ。でも、彼の奥さんや子どもたちとは、今でも親しい交流が続いているんだよ。」遠い日を思い出すように、いつもよりゆっくりと話すンタテ・ンコースィ。

「ンタテ・マショーメとも、もう長い事会っていない。子どもと一緒に暮らすために、この町を離れてしまったからね。でも、二人とはいい友達だった。二人はいつも私を支えてくれたよ。二人がいなかったら、当時の生活も、もっともっと大変だったんじゃないだろうか・・・」

それは、私が初めて聞いたンタテ・ンコースィのプライベートな部分だった。自分の内面について、ほとんど話さない人だった。自分の元妻や子どものことを話すときでさえ、他の人たちの話と同様、淡々と話していたンタテ・ンコースィが、初めて、苦しい闘いの中での心の支えについて話してくれた。それが二人の友人のことだった。

長年、地域の持たざる者を代表して状況改善のための活動を行ってきた人。これだけ日常的に頻繁な人の訪問を受け、いつも人に囲まれ、多くの人たちから頼られている人。多くの人の抱える問題に耳を傾け、住民運動のリーダーであり続けた彼の人生は、彼自身のこと以上に他者の苦しみに重きを置き、正義を追求しようとするものであるように見えた。

でも、そんな彼だからこそ、誰にも邪魔されたくない、大切な領域があったのではないかと思う。ンタテ・マショーメとンタテ・モコエナとの友情。遠く離れていても、もう会うことができなくても、「友人」として心の中に居続ける存在。家族を含めて、強いきずなで結ばれた存在。彼が率いている多くの人たちとの関係とは別の、特別な関係。 

いつも質問ばかりしている私も、この時ばかりは彼の心の「聖域」を覗いてしまったような、何か踏み込んではいけないような気持ちになり、彼の言葉が途切れるまま、黙って佇んでいた。

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かつての「不法占拠区」住民と思い出話に花を咲かす。左がンタテ・ンコースィ

更新日: 2014-03-08, 作成者: AFRIC Africa