『恥辱』ジョン・マクスウェル・クッツェー=著 / くぼたのぞみ=訳

紹介:目黒 紀夫

 

ジョン・マクスウェル・クッツェー(John Maxwell Coetzee)は、1940年に南アフリカのケープタウンに生まれました。彼は2003年にノーベル文学賞を受賞しましたが(アフリカ出身者としては4人目)、これ以前からさまざまな文学賞を受賞しており、特に英語圏における世界的な文学賞であるブッカー賞を史上初めて2度(1983・1999)受賞したことで、その名声を確固たるものにしました。今回紹介する『恥辱(Disgrace)』は、1999年に出版されクッツェーに2度目のブッカー賞をもたらした彼の代表作であり、2006年にオブザーバー(イギリスの新聞)紙上で「この25年で最も優れた小説」に選ばれ、2008年には映画化もされました。

本書は、「五十二歳という歳、まして妻と別れた男にしては、セックスの面はかなり上手く処理してきたつもりだ」という一文で始まります。主人公のデヴィッド・ラウリー(白人)は2度の離婚を経験した大学准教授。娼婦や手近な女性を相手に自分の欲望を「かなり上手く処理して」きたはずが、軽い気持ちから教え子と関係をもったことで大学を追われることになります。しかし、この不祥事(というか自業自得)が本書における「恥辱」のすべてではありません。デヴィッドにとっての「恥辱」とは、大学を辞め、郊外で暮らす娘のもとで田舎暮らしをはじめるなかで直面するものです。愛娘であるルーシーを巻き込んで起きる「恥辱」体験においては隣人の黒人農夫ペトラスが中核的な役割を果たしますが、そこにはポスト・アパルトヘイトという時代が強くかかわっています。ただし、本書において真に問題となるのは、ペトラスを中心に生起した「恥辱」それ自体というよりも、それへの対応をめぐってデヴィッドと愛娘のあいだに生じる見解の相違でしょう。デヴィッドには「進んで黒人たちに『隷従』しようとする娘の心理」(野崎歓氏による「解説」より)が理解できず、必死に愛娘を説得しようとします。果たして、その首尾は……。

訳者のくぼたのぞみ氏は本書以外にも数多くのアフリカ文学を翻訳されていますが、この本については、「『恥辱』では、アパルトヘイト撤廃後の新生南アフリカの不穏な情勢を背景に、まさしくあらゆるものの価値観が揺れ動く。ひとの栄辱とはなにか。魂のよりどころはどこにあるのか(そもそも魂はあるのか?)。頻発するレイプ、強盗事件、失業、人種間の対立、動物の生存権。ひとりの男が味わう苦境には、現在の南アの社会的、政治的、経済的諸問題が映しだされている」と書いています(「訳者あとがき」)。

クッツェーはアフリカーナー(ヨーロッパ系移民の子孫)の家系の生まれであり、いわゆるブラック・アフリカの作家ではありません。しかし、彼は反アパルトヘイト運動に積極的に参加した文学者であり、抑圧・差別がもたらす問題は他のさまざまな著作でもくり返し語られています。その一方で、『恥辱』における黒人描写は差別的だということで与党のアフリカ国民会議がクッツェーを批判したこともありました。すべての小説がそうであるように、『恥辱』という本の解釈・評価は読む人ごとに変わってくるとは思いますが、今私たちと同じ時代を生きるアフリカ発の世界的文学者ジョン・クッツェーの代表作を、みなさんもちょっと手に取ってみませんか?

出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)
発行:2007年

更新日: 20010-12-29, 作成者: AFRIC Africa