『アメリカにいる、きみ』 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ=著 / くぼたのぞみ=訳

紹介:大門 碧

 

1977年生まれの若きナイジェリア人女性作家の作品10篇がつまった短編集。日本での出版のために特別に編まれた。

ナイジェリアからアメリカに親戚を頼って働きにきた女性、活動家の夫の身に危険が迫り、自身もナイジェリアからアメリカへ逃げることを余儀なくされる女性、ナイジェリアの市場で買い物中に暴動に遭遇してしまう女性、、、採録されている10編の短編のうち8編が女性を主人公としたものである。

出てくる女性たちは、まわりで起きている出来事に敏感に反応する。たとえば、アメリカにわたって白人の男性と付き合い始めるナイジェリア人女性。彼とふたりでいるときに、中国人のウェイターが、彼にガールフレンドがいるのか?と問う。白人の彼は、「ニッと笑って、なにもいわなかった」(p.16)。この事態に胸をつまらせる主人公。他人は、彼女がその白人の彼のガールフレンドであることを想定していないし、そして白人の彼は、その場でなにも主張しない事実に、ショックを受けたのだ。登場する女性たちは、アフリカ/黒人差別やジェンダー(社会的性差)を含む、社会のあらゆる矛盾に対して、たくさんの疑問を持ち、ときには、その疑問を口にし、ときには黙り込む。自分が発するひとつひとつの行動や言葉もまた彼女の中で反芻される。これでよいのか、これはまずいのか。相手はどう思っているのか、自分はどう思うのか。そして女性たちは、物語の中で小さな決断をくだしていく。短い物語の中で、いつのまにか読み手は、主人公に自分を重ね合わせ、彼女たちがおこなっていくささやかな行動を、息を詰まらせながら見守ることになる。

あとがきで、訳者のくぼたのぞみ氏が、著者であるアディーチェ氏のインタビュー記事を紹介している。

「アフリカについて書かれた本(たいていアフリカ黒人がブラックアフリカについて書いた本)の書評者やその本に推薦文をよせる作家が「これはたんなるアフリカの本ではなく普遍性をもつ」といって読者を安心させるのはなぜか、不思議に思ったことはありませんか?まるで アフリカの」と「普遍性をもつ」が相容れないみたいですね。(中略)最近になって少し違ってきたのはアフリカ人に奇妙なねじれが与えられたことです。わたしたちを「高貴な人」として読むのが政治的に正しいと想定する、そういうねじれです。アフリカ人は「野蛮人」とはいわれなくなりましたが、書かれたテキストの背後の意味はいつも、アフリカ人は野蛮だとほのめかしています。(中略)西側諸国の人びとは西欧文化の色眼鏡でアフリカを見たがるのをやめて、複雑に入り組んだあらゆることを含めて、アフリカ人の目線を通して等身大のアフリカと向き合ってほしいと思います。」(p.248)

東のすみっこにいる私たちは、今、アフリカに対してどう接しているだろうか。アディーチェ氏に批判されることを覚悟して言わせてもらいたい。この本に出てくる舞台は、私たちにとっては少し遠い国で、少し特殊な状況下かもしれない。しかし、いくらでも自分が普段もっている感情と重ね合わせて読める本である。自分に引き寄せて読んでほしい。日常を生きる中で、疑問を持ち、疑問を持ちながら、だれかを見つめること、自分の生き方を調整してみること。それがうっとうしく、面倒なことではなく、重要な美しい営みであると、そう思うのではないだろうか。

出版社:河出書房新社
発行:2007年

更新日: 20010-11-05, 作成者: AFRIC Africa