コンゴ民主共和国でフィールドワークを続けてきた私たち3人(松浦直毅、山口亮太、高村伸吾)は、困難な生活を乗り越えようと血のにじむ努力をしている森林地域の人々の姿を目の当たりにし、彼らの取り組みを後押しするためにひとつの企画を発案しました。それが水上輸送プロジェクトです。

2017年夏、地域の人々と私たちの協力のもとでプロジェクトが実施されました。その一部始終は、2018年2月からスタートするエッセイシリーズで余すことなくご紹介しますが、ここではそれに先立ってプロジェクトの概要を説明します。人々が抱える困難とはどのようなものなのか、それを克服するのになぜ水上輸送なのか、そして、このプロジェクトが何を目指したのか。まずはみなさんに地域の現状と背景を知っていただこうと思います。


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1.背景

困難にあえぐコンゴの人々

コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)は、アフリカ大陸のまんなかに位置し、アフリカの国々のなかで2番目の面積を誇ります(図1)。アフリカ諸国のうちで、同じ国のなかに時差があるのはコンゴだけということからも、その大きさがわかるでしょう。国土の大半をおおう熱帯森林には多様な野生動植物が生息し、地下には豊かな天然資源が眠っている「資源大国」でもあり、かつては世界屈指の一次産品輸出国として経済発展していました。

しかし1990年代以降、コンゴの政治情勢はきわめて不安定になっています。1991年に勃発して2002年まで続いたコンゴ戦争では約500万人が亡くなったといわれており、このあいだに国内の交通インフラは崩壊して、経済活動も著しく衰退しました。とくに都市から遠く離れた森林地帯に暮らす人々への影響は大きく、紛争終結から10年以上が経過した現在も流通は回復しておらず、人々は深刻な物不足にあえぎ、不安定な生活を余儀なくされています。

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図1.コンゴ民主共和国

ワンバ地域

コンゴ北部のワンバ地域では、1970年代から日本人研究者が中心となって類人猿ボノボの研究がおこなわれてきました。この地域は、研究者らによる働きかけによって1990年に「ルオー学術保護区」となり、戦争によって中断を余儀なくされた時期をのぞいて、現在にいたるまで研究活動が続けられています。ボノボを対象とした霊長類学的調査のほかに、住民を対象とした人類学的調査も、長きにわたっておこなわれてきました。とくに近年、双方の分野ともにワンバ地域で調査おこなう研究者が増えており、研究活動は大きく発展しています。私たち3人も、2010年代になってからワンバ地域で人類学的調査をはじめ、現在まで継続しています。さらに、この地域には国際自然保護NGOが拠点をかまえており、新しくコミュニティ保護区が設立されるなど、ボノボをはじめとした野生動物保全の取り組みも進んでいます。

しかしながら、地域の住民に目を向けると、その生活は上で述べたように非常に困難で不安定です。紛争以前は、外国資本の会社がアブラヤシ、ゴム、コーヒーなどのプランテーションを経営しており、地元の住民にも現金稼得の機会がありました。商品作物の輸送などのためにトラックや船が定期的に往来しており、人の移動とモノの流通が活発にあったといいます。ところが、紛争の影響でプランテーション会社は1990年代以降にすべて撤退し、使われなくなった道路、橋、河川航路は大きく荒廃しました。紛争が終結してからもインフラの整備や修繕はまったくおこなわれておらず、交通は遮断されたままで、人とモノの出入りは著しく限られています。広大なコンゴのなかでも遠隔地といえる場所であるため、政府による公共事業を期待することはほとんどできず、まして民間企業が再び操業するようになるのにはほど遠い状況です。

生きるための自助努力

そのため人々は、生計基盤を確保して生活向上を図るべく、懸命な自助努力をおこなっています。現金収入を得るために、干し肉、干し魚、乾燥イモムシ、農産物、さらにはヤギやブタなどの家畜を、300km以上も離れた都市(東部のキサンガニ市)周辺まで自転車や徒歩で売りに行きます。数十kgの商品を載せて野宿しながら森のなかの道を1週間以上も移動しつづける、という想像を絶する過酷な旅を、しかも日常的におこなっているのです(写真1)。また、個々人の努力の限界をおぎなうために、村にはいくつもの住民組織が設立されており、資金も道具もほとんど不足した困難な状況のなかで協力しあって畑をつくったり家畜を飼育したりしています(写真2)。最近では、さらなる収入の増大を目指した新たな試みとして魚の養殖や蒸留酒づくりなどに着手する組織もあります。

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写真1. 徒歩交易のようす(高村撮影)

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写真2. 住民組織による共同畑(左)とアヒル飼育(右)(松浦撮影)

2.支援プロジェクト

支援の取り組み

困難に直面する人々をサポートするために、私たちはこれまでに、研究活動の一環として、また、個人的な取り組みとして、住民組織に対して資金援助をふくめた活動協力をおこなってきました。そして、そうした取り組みを通じて、現地の人々と親密で良好な関係を築いてきました。しかし、個別の組織に少額の援助をするだけでは、地域にもたらされる効果は限定的です。小規模で持続的な支援にくわえて、幅広く地域の人々を巻き込んで地域社会全体に波及するような大きな事業もおこなう必要があると感じるようになりました。地域の人々の生活向上を図るとともに、彼らとの良好な関係をさらに発展させていくことは、保全や研究に対する理解と賛同を得るという点で、ボノボをはじめとする野生動物をまもるうえでも重要です。

そこで私たちは、アフリック・アフリカの「環境保全支援事業」の一環として、ワンバ地域の人々の生活を支援するプロジェクトを考案しました。それが、舟による水上輸送プロジェクトです。これまでに私たちが地域の実情に目を向け、人々と話し合いを重ねるなかで見えてきたのは、やはり劣悪な交通事情が生活向上をさまたげる大きな障壁となっていることでした。村で生産した商品を町に輸送できなければ現金収入を得ることができず、町からの工業製品がなければ村での活動の発展はなかなか望めません。では、どうすればこの困難な障壁を乗り越えることができるのでしょうか?私たちが注目したのは、道や橋の整備がほとんどなされておらず、手段が徒歩、自転車、せいぜいバイクにかぎられる陸上交通ではなく、一度にたくさんの荷物を運ぶことができる舟による河川交通でした。

村の近くには学術保護区の名前にもなっているルオー川(別名・マリンガ川)が流れており、ルオー川はワンバから約700km先でいわずとしれた大河・コンゴ川にそそいでいます。ワンバ地域の人々は、「河の民」とも呼ばれるように、ずっと昔から河川の利用に精通しており、現在も丸木舟を駆使して漁労活動を営んだり、河川沿いのキャンプ地を移動しながら生活したりもしています(写真3)。プランテーション会社の時代には、大型船がやってくるなど河川交通が開かれており、とくに年配の人たちは、実際に河川を往来した経験を豊富にもっています。「河の民」と呼ばれる地域住民と協力し、困難な「森の道」にかわる「河の道」を再び切り拓くことがこのプロジェクトの目的というわけです。みんなで一緒に、楽しくにぎやかにプロジェクトをおこないたいという気持ちをこめ、対象となるワンバ地域の二つの村、「ワンバ村」と「イヨンジ村」の頭文字をとって、「ワイワイプロジェクト」と名づけました。

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写真3. ルオー川沿いのキャンプ(左)と漁労活動(右)(松浦撮影)

森と河をつなぐ

ワイワイプロジェクトでは、ワンバ地域の住民組織と協力して村の商品を集め、それを舟に載せてルオー川を下って、コンゴ川沿いの地方都市バンダカを目指すことにしました。私たち3人と村の住民組織から選ばれたメンバー(以下、選抜メンバー)が、約1週間かけて一緒にバンダカに向かいます。バンダカでは運んできた商品を売却し、そのお金で工業製品を買って村に持ち帰ります。同時に、ワンバ地域に関わる研究者を中心とした「ビーリア保護支援会」の活動と連携し、地域全体の利益になるものとして学校の建材と学用品、病院の薬の購入を支援することにしました。

残念ながらスケジュールの都合で、私たち3人はバンダカから飛行機で首都キンシャサに戻らなくてはならず、約2週間の復路には参加できなかったため、村までの輸送の責任は選抜メンバーにもってもらうことにしました。それはまた、彼らにプロジェクトの舵取りを受け渡し、自分たちで挑戦してもらうという試みでもあります。「森と河をつなぐ」とは、河の道を拓いて森のなかの村とつなぐこと、つまり、移動経路を結ぶことだけを意味しているのではありません。それは、私たちと村の人々とが力をつなぎ、お互いの想いを結び合わせることを目指した挑戦でもあるのです。


さて、ここまでがプロジェクトの背景と概要です。村での活動はどのような経過をたどり、舟の旅がどのような顛末となったのか。プロジェクトを通じて私たちは何を体験し、どんな発見をしたのか。これからはじまるエッセイシリーズは、村の人々と私たちによる笑いあり涙ありの奮闘の記録です。私たちが体験した興奮と感動をみなさんにも味わっていただきたいと思います。2月からのシリーズにどうぞご期待ください。

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